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先日、親戚の叔父から使い込んだカンナやノミなど木工の手道具をたくさん譲り受けた。
叔父は50年近く、鋳物の型となる木型を作り続けてきた職人である。
加齢により目が弱くなり、細かい仕事が辛くなってきたのと、鋳物業界の不振による仕事の激減、又、技術革新により木型があまり必要とされなくなった等の事情で最近、仕事を廃業した。
譲ってもらった道具類をみると、どれも良く使い込まれ、刃はすり減り、特殊な用途の為に完全に自作されたものもたくさんあった。
それらの道具は私が受け取らなければ、「すべてゴミとして処分するつもりだった、この後も使ってもらえると嬉しい」と叔父は言い,実際、嬉しそうな、安心した表情だった。
私も叔父ほどではないが、20年程、木工の仕事をしてきた。道具は手の延長である。長年使うほどなじんで使いやすくなってくる。叔父の気持ちは良くわかる。大事に使わせてもらうつもりだ。
一方で、ここ数年感じている疑問が再び心に湧きおこってくる。経済、産業の変化と効率化による、手仕事の職人の廃業、激減である。
中には本当に必要とされない仕事もあるかもしれないが、単純に商品の価格を下げる為に仕入先をベトナムや中国に変えたり、材質をプラスチックに変える、構造を単純にするなどの事で、技術を持った職人がどんどん不要とされていく。
作り手側からの発想といわれればそれまでだが、私は「木は特別な素材だ」と思っている。
良い材料を使って、ていねいな手仕事で仕上げられた木工品は、単に機能を満たすだけのものでなく、見て美しく心に安らぎをもたらす物だと信じている。
「長持ちしなくとも、価格が安く、当分使えれば良い。だめになったら又買い直せば良い」というのは、とっくに時代遅れになっている。
「安物は結局高い買い物だ」、特に身近な耐久消費財は・・・。
この事を良く考えて欲しいし、良い物を長く使ってもらいたいと思っている。
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